俺という自社株、ストップ安
この文章を書いている2026年の10月27日、21年と少し生きてきて、最も自分に絶望する出来事が起こった。
今回は、どこかにアウトプットでもしない限り収まりがつかない自分の心のため、懺悔とその内容の検討を行う。
お恥ずかしい限りではあるのだが、こうするほかに俺が今日布団に入ることを許される方法が見つからないので仕方がない。
言うなれば、暴落している俺という自社株をストップ安にする試みだ。

どんな経緯で誰に読まれているかは分からないが、この絶望をなんとか価値あるものに昇華するための時間に付き合ってほしい。
ことのあらまし
結論から書けば、「忘れ物をした」という話なのだが、そう単純ではない。
なお、ここでの「忘れ物」とは持ってくるのを忘れる忘れ物ではなく、持って帰るのを忘れる忘れ物のことである。
この日、部活の練習前に行われたパートミーティングにて「当たり前のことを当たり前にできていない」「できている人もできていない人も自分ごとにしよう」という趣旨の話がなされた。
というのも、最近俺の所属する中距離パートでは様々なミスや未熟な点が露呈し、先輩方やコーチに指摘されていたのだ。
さらに言えば、前述の「当たり前のことを…」ということに関して言えば今に始まったことでもなく、これまでもさんざん言われていた。
そしてその内容を細分化すると「忘れ物が多い」といったものが代表になっており、これは使用させてもらっているグラウンドという場所に私物を置き忘れるというだけでなく、最後に片づける人の迷惑になるという点においても重視されるべきだと解釈している。
実際、一度はパートの月目標にすらなっている。
そんなことが再度確認された練習日に、俺は自分のヘアバンドをグラウンドに忘れてしまったのだ。

瞬間、絶望
忘れ物があると、その持ち主を確認するラインがグループラインに流れるのだが、それを見た瞬間、過去類を見ない絶望が身体を襲った。
身体を襲うというのは比喩でなく、心臓が止まったかと思った次の一瞬には急激に心拍が上がり、大量の冷や汗と呼吸の荒さが現れた。
大げさに思うかもしれないが、生まれて初めてご飯がのどを通らないという現象の体験もした。もちろん最終的には飲み込むことができるのだが、何度もつっかえ、のどが食べ物を外に戻そうとするのだ。
怖くなって調べてみたが、どうやら比喩ではなく実際にあることらしい。逆に安心した。

この期に及んで自分を弁護するようで恐縮だが、おそらく今までこのような形の忘れ物をしていなかったというギャップも、この異常なまでの身体反応を加速させていたのだと考えている。
その後、いくらか落ち着いた後に返信の文言を考え、グループラインとパートチーフ、コーチに謝罪の連絡をした。

罪の所在①
優しい人は「人間ミスはある」と「たまに忘れ物をしてしまうのは仕方がない」と慰めてくれるかもしれない。
実際そう言ってくれた人もいた。
ただ、今回の話は単に「忘れ物をした」という事実に収まらない。
というのも。繰り返しになるが前述の通り、この日は「当たり前のことを当たり前にやろう」、そして「できていると思っている人も自分事だと思おう」という趣旨の話がされていたのだ。
これはつまり、俺はそんな小学生のホームルームで言われるようなことがわざわざ確認された日に、それすら守れなかったということになる。
これは己の価値を大いに揺るがすに足る出来事だろう。正直、基本的に自分に甘い俺だが、今回ばかりはその限りでなく、つま先から頭のてっぺんまで嫌悪的に感じた。
罪の所在②
①の、言われたこと数時間後すら守れないというのも大問題だが、この事実の裏に隠れた罪に比べれば可愛いものかもしれない。
というのも、「言われれたことを数時間後すら守れない」という問題は単なる記憶力の話で、ではなぜ忘れてしまったのかという部分に本質があるのだ。
そしてその本質にはコーチがおっしゃった「自分事になっていない」というものであり、その原因は「まさか自分ができない側にいるわけない」という驕りにあった。
これが一番の罪だろう。
思えば、両親の教育方針もあり、悪いことをすれば怒られる一方で能力不足で怒られることはなく、もちろん至らない点は多々あるが、寝坊や忘れ物といった初歩的な点でのミスは人より少ない自信があった。
明確に自信をもっていたというよりは、無意識的にそう確信していたという方が正しいかもしれない。
そして、それが「できると思っている人も自分事に」という金言すら、気づいたときには「そうは言っても俺はできるだろ」という愚かすぎるほどの勘違いに、無意識下で終着していた。
ほんとうに恥ずかしい。
今後について
そんでもって優しい皆さんは、こんなことを言う人がいたときに「今後どうするかが大事だよ」と言ってくれるのだろう。
こればかりはその通りで、起きてしまったことの分析と同じだけ、あるいはそれ以上必要なことだ。
もちろん謝罪で気のすまなかった俺は、後にこのように続けた。

俺の所属するパートの長は「自分が100%できていないことを注意するのは難しい」と考えており、これは直観的にも分かりやすいし一理あると思う。
ただ、これは一種の理想論であり「そもそも100%ミスしない人間はいるのか」や「将来的にミスすることを怖がって注意そのものがなくなる可能性」という問題点を抱えている。
そして、今回ミスした俺としても「自分はミスしたので、人にも注意しないから許してください」というのは都合が良すぎるし、楽すぎる。
つまり、ここで必要なのは「俺の屍を越えてゆけ」と周りに啓発する勇気だと考えた。
その結果「あいつ、自分もミスしたくせに何言ってんだ」と思われるのはもっともな意見で、それが罪を犯した者への罰となるのだ。
甘んじて受け入れるべきだろう。
自分が気をつけることはもちろん、ミスをした人間に降りかかる責任はここにこそあるのではないだろうか。
おわり
一か月ぶりの投稿がこのようなものになってしまって非常に残念だが、自分の歴史として始めたブログにおいて、この内容は残さざるを得なかった。
こんな話を人に知られるというのはとても嫌なことだが、そのストレスがこの記憶を海馬に刻み込むと信じる。
お目汚しになったかもしれないが、俺自身が笑い話にできない分、この失敗談を笑い話に、そして俺を笑い者にしてもらえると助かる。
ひとまず落ち込むのは止めにして、今後の対応と陸上競技に専念する。
ではまた。
追記
本当の絶望は、この出来事が近い将来風化されかねないこと。
自分という人間の記憶力、意志力はまったく信用ならん。
2026/10/27 2730字
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