今回は「価値観の話」
先日、友人たちと食事の席にて。BeReal.(以下B)アンチの第一人者として名を挙げられた。
┐(´д`)┌ヤレヤレ
まったく…ひどい話である。
と言いたいところだが、まぁ実際Bをやっておらず、今後もやるつもりはない。ので、「アンチ」とまではいかないが、肯定的に捉えていないことは否定できない。
念の為もう一度言うが、「アンチ」でもなければ、まして「第一人者」になった覚えはない。
(ヾノ・∀・`)ナイナイ
勝手なことを言うのはやめてほしいな、Uくん。
そんなこんなで、なぜBを肯定的に捉えることができないのか、これを検討してみたい。
検討の結果、もしかすると始める可能性すらある。
ではさっそく。
出会い
Bとの出会いは昨年。
その存在をYouTubeショートで知った。気がする。たぶん。
とはいえ、実際にやっている人が身近におらず、流行っている実感等はなかった。流行った年が受験期だったことが、その要因のひとつだろう。
実際にBに取り憑かれている人類と接触したのは今年に入ってから。ちなみに先述のUくんである。
(^o^)/
明確な時期は覚えていないが、部活帰りの電車内で勧められたことが記憶に残っている。好奇心で始めようと思ったが、登録がめんどうで諦めたことも、記憶に残っている。
あのときの判断が間違っていたのか否か、ここではっきりさせたい。
蔓延と認知
受験が終わり、受験生が解放される3月。徐々にBをやっている人が身近に増えてきた。
(゚∀゚)
数人、半数、気づくと既に過半数がBをインストールしていた。この頃になると、やはり世間で流行っているのだと。嫌でも脳は理解する。
極めつけは大学入学。体感7〜8割の学生がBに手を染めていた。
蔓延と認知。自分が少数なのだと、理解するには十分すぎる世界が広がっていた。
Bに手を染める動機(Uくんの場合)
「いかにしてBをしてしまうのか。」
この命題に終止符を打つため、おなじみのUくんに、Bをやっている動機について徹底的に取材した。
返ってきた答えは…
「んーまぁみんなのみたいからとか?」
なんとも曖昧で、いらいらする返答だったが、なるほど。みんなの投稿を見たいというのが、最も大きい理由のひとつらしい。
(´・ω・`)フムフム
どうやら聞いた話によると、自分が投稿しないと相手の投稿を見れない仕組みらしい。よくできている。
ちなみに、もうひとつ質問してみた。
「みんながやってなかったらやらない?」
返ってきた答えは…
「さすがに?」「やらない」
とのこと。
つまりUくんの場合、人の投稿に自分の動機を重ねていることがわかる。まぁ、冷静に考えてみれば、「そりゃそうか」という話ではある。
Bに手を染める動機(Mさんの場合)
ここで終わっても良いのだが、さすがに一人だけの意見では、あまりにも統計的な価値がない。果たしてこれが2人3人になったところで、同じような話かもしれないが、1人よりはましだろう。
続いては「BeReal界の権威」こと、Mさん。彼女は某A大学に通っている、”ホンモノ”だ。会うたびに髪色が変わっている。
ヮ(゚д゚)ォ!
ただし、そのパリピ陽キャ具合に反して、真面目である。
俺の「Bをやる理由は?」という問いに対しては、しっかりとした返答が返ってきた。それがこちら。
なるほど。やはりUくんと同じく、友人の投稿をモチベーションにしているようだ。さらに加えて、リアルタイム性についても言及してくれた。
このリアルタイム性に関しては、Bにしか出せない特性かもしれない。Mさんはインスタグラムを例に挙げてくれたが、たしかに他のSNSとの差別化を図ることができているように感じる。
たいへん貴重な意見をいただいたMさんには、感謝の意を捧げる。
Bに手を染める動機(Nさんの場合)
続いて、大学の友人(なんでも号泣襟足大好き人間)のNさん。例のごとく質問してみたところ…
これこれ!こーゆーの待ってたんよ。
(゚∀゚)キタコレ!!
と、はしゃぎたくなるほど参考になる回答である。先述の2人と異なる点としては、写真を撮ることによるメリットについて言及してくれたところ。
「普段撮らない人と写真が撮れる」たしかに、通知の時間はランダム。つまり予想ができないため、そのときに一緒にいた人と撮るしかない。普段の生活ではわざわざ写真を撮らない相手とも、写真を撮る可能性は高い。
それが毎日ともなると、なおさら。
「その日何してたか記録が残る」うむうむ。いわゆる日記的な役割を担うという解釈で問題ないだろう。生まれてから今日まで、人生で一度は日記をつけようとした経験のある人は多い。たぶん。
_(┐「ε:)_
かくいう私も何度かつけようとした。が、よくて1週間が関の山といったところ。1か月続けば祝賀パーティーが開かれることは間違いない。
ところが、これがBになると余裕で続く。もちろん、文章を書くことと写真を撮ることの情報量や労力の差は無視できないが…それでも続けるということに重点を置くならば、Bはたいへん優秀な日記ツールと言うことができる。
「気軽に会えない人でも会っている気になれる」これは先述の2人の意見に肉づけするもの。
高校生なら中学時代の友人、大学生なら高校時代の友人と。普段はなかなか会えないが、Bを通して擬似的な面会を果たすことができる。
(^o^)v
参考になる意見を提供していただいたNさんに感謝申し上げる。
あ、あとUくんも。あざまる。
やらない理由(俺の場合)
ここまで「Bをやる理由」について書いてきたが、ここからは「やらない理由」について書く。既に2000字を超えており、今すぐにでもやめたいが。ここでやめてしまうと、Bアンチの矛先が俺に向きかねない。
それだけは避けねば。
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
まず手始めに、俺がBに手を出さない理由について書こうと思う。主に2つあるが、大した理由でもないので、さくっと。
①強制的、義務的なタスクを増やしたくない。
②写真を撮られることが苦手。
①強制的、義務的なタスクを増やしたくない。
ときどき、友人と時間を共にしていると。
「びーりある撮らなきゃ」という声が聞こえてくることがある。
また、他にも。
「今日びーりある撮ってなくない?」という声も。
この言葉を聞いてしまうと、どうしても「強制的」「義務的」な側面を感じざるを得ない。ここで重要なのは、必ずしもこの言葉を発している人がそれらを感じているわけではないということ。
とはいえ、やはり俺は強制力を感じてしまうし、やらなければいけないのひとつとして捉えてしまう。
(´ε`;)ウーン…
何らかの目標のために、自ら強制力を働かせることには賛成だが、それ以外の「強制」や「義務」は基本的に全て苦手。日々の生活にタスクを増やすことは、なるべく避けたい。
②写真を撮られることが苦手。
しょーじき、これが全てかもしれない。
写真を撮ることは割と好きなのだが、集合写真含め、撮られることがあまり得意ではない。自分に自信がないとか、そこまで感じたことはないのだが…
おそらくそーゆー話でもないのだろう。単純に撮られることが苦手なのだ。イベント後の、みんなで写真を撮り合う時間も少し苦手である。帰れるなら帰りたい。
(((((((((((っ・ω・)っ ブーン
こーゆーことを書くと、また一緒に写真を撮ってくれる人が減りそうで怖い。撮られるのは苦手だが、「一緒に撮ろう」と言われないのも寂しい生き物なのだ。
画面の前のおまえもそうだろ? 知ってんぞ。
(ヽ´ω`)
ひいては、自撮りも例に漏れない。撮られることが苦手なのに、自分で撮ることが好きなことがあるだろうか、いや、ない(反語)
いやまぁ、いるかもしれんけど…
そんなこんなで、俺はBに手を出していない。
やらない理由(Mくんの場合)
やらない理由に関しても、もちろん俺以外の意見を聞いてみた。まずはMくん。春学期33単位の大馬鹿者。秋は全休作れて喜んでたので、聞いてみた(?)
忌憚のない意見をありがとう。
取り上げるのは、下の2つ。まずは「毎日遊んでないから見せるものでもない」。なるほど、これは少し面白い視点だと思った。Bを、他者にエンタメを提供するツールとして見ているように感じる。
( ・`ω・´)
わざわざ見せるものでもないので、やる必要がないという解釈で問題ないだろう。ひとつ苦言を呈するのであれば、Realを提供するのだから、遊んでいる必要もない気がするが…
次は「講義中撮ってる人を見てああはなりたくないと思った」。
おっとぉ。少々尖ってはいるが、ときどきそんな話を耳にする。講義中に通知が来たとき、人によっては構わず撮るとのこと。
いったいどれだけの人数がその行動をしているのか、全くもって定かではないが、たしかに褒められた行動ではないだろう。
とはいえ、俺がこの話に違和感を感じるのは、では「大学の講義中にスマホをいじっている人」とは何が違うのか、ということ。
(;^ω^)
Bをやるか、友人にLINEを返すか。正直そこまで大きな違いはないのでなかろうか。おそらく、争点は人の迷惑になるか否か。講義を受けている他の人が、より不快に思う方はどちらかという話。
講義中に撮るBは、スマホを机に置いたまま、暗い画面で撮る人も多いと聞く。この場合、特段人の迷惑になっている印象はない。堂々と友人と一緒に撮るような行動は目に余るものではあるが…
そのようなことをしている人が、俺の友人にいないことを祈る。母数も少ないのであまり心配はいらない。とか言うな。お前の方が友達いねぇよ?
Mくんへ、忌憚のない意見をありがとう(2回目)
やらない理由(Oさんの場合)
続いてOさん。10月の初頭まで夏休みで、暇をしているらしいので聞いてみた(失礼)
こーゆーの待ってた。
( ^ω^ )ニコニコ
そもそも「やる理由が見当たらない」かつ、「スマホに縛られたくない」。ただでさえスマホに依存している今、俺もこれ以上スマホに縛られる事象は増やしたくない。
これも先程と同じく、Bを使用している人が必ずしも縛られているという訳では無い。なんなら、日常となることで縛られているという感覚は持っていない可能性の方が高いのではなかろうか。
(「・ω・)「ガオー
感覚が無ければ良いのかどうかは、また難しい話だが…俺は正直感じなければそれでいいとすら思ってしまう節がある。これは賛否両論。
また、Oさんが面白いのは、やらない理由と同時に、「皆んなが何してるのか見れるのはいいなー」を伝えてくれたこと。その裏表のない性格が、多くの人から好かれる要因だろう。
(*´﹃`*)
まさしくその通りだろう。俺も「自分が撮らなければ人の投稿を見れない」というシステムさえ無ければ、今頃インスタのストーリーのように楽しんでいるはずだ。
やりたい気持ちもあるが、それを邪魔する理由に、より重きを置いているとのことらしい。これには、さすがの俺も共感を隠せない。
正直に答えてくれたOさんには、正直な感謝を申し上げる。
やるか否か
ここまでで、既に4000字を超えており、記事のストックも減ってきているので、そろそろ終えたいが(この記事作成に2日かかっている)、まだ書きたいことはある。
以上を踏まえて、俺自身がBをやるか否かという話だ。
結論から言うと、「やらない」。
ただし、この結論に至るまでに何を考えたのか。それを記すことで、いまだに始めるか迷っている人に示唆を与えたい。
∠( ゚д゚)/
やるとしたら
もし俺がやるとしたら、基本的に自分を映すことはしない。その場の景色や友人、雰囲気などを伝える。
そんなものを写して、何になるのか。そんな読者の疑問が聞こえてきそうで聞こえてこない。ので、勝手に話す。聞け。聞いてほしい。
じつは、Nさんの「やる理由」にヒントが隠れている。というか答えだが。「その日何してたか記録に残る」これが俺の中で価値が高い。
((´^ω^))
人間の脳みそは弱いもので、その日どこで何をしていたか、数ヶ月、いや、数週間で容易に忘れてしまう。これは脳の防衛本能のひとつでもあるので、抗うことは基本的にはできない。
そんな時に役に立つ。気がする。俺は、ときどきLINEのトークを読み返すほどの思い出厨。つまり、日々を記録するツールとして優秀なBを使うという選択肢は、控えめに言って悪くない。
(・∀・)ナイ!!
とはいえ…
とはいえ、今現在似たようなことをしている。それがこのブログである。
その日の俺が何を考えていたのか。将来ニヤニヤしながら読み返す自己満足ツールではあるのだが、ある意味日々の記録となっている。
もちろん、その日に何をしていたかは分からないが、それ以上にその日にどんなことを考えていたのか。これが俺には価値がある。
( ・´ー・`)どや
何をしていたのか。こちらをより重視する人だって、たくさんいる。その人たちは、きっとBを最大限活用できるのだろう。
「どちらもやればいいじゃない?」と、雑なマリーアントワネットみたいな助言をしてくれる人もいるかもしれない。(ちなみに「パンがなければ、ケーキ(正確にはブリオッシュ)を食べればいいじゃない」というセリフは彼女のものではない、という説もあるらしい)
ただし、これは先述の「①強制的、義務的なタスクを増やしたくない。」に抵触してしまう。正直に言ってしまうと、2つともやるのはめんどい。
(:3[▓▓]
どちらを優先するかと聞かれれば、ブログを優先するという話で終わってしまう。
今回紹介にまでは至らなかったが、友人Aくんのやらない理由のひとつに、「他に承認欲求を満たすツールがある」というものがあったが、これは俺のブログにも同じことが言えるかもしれない。
Bの、承認欲求ツールとしての役割も否定できないと、おなじみのUくんから言質を頂いている。
他にも、「通知が来ていないか気にしたくない」など。細かなものを挙げると色々ありそうではあるが、大まかなものはこんなところ。
まとめ
現在5600字。これを「まとめろ」と言われると、ふつうにキレる。真面目にまとめたら、優に6000字は超えそうなので。手短に。
ぜひ6000字を超えていないことを願って最後の文字数を確認してほしい。絶対に超えていない自信がある。そもそもBeReal.についてだけで、まさかここまで長くなるなんて思ってもいなかった。
(´Д`)ハァ…
書き始めた当初は、U君の意見と俺の意見をぶつけて、論破して終わってやろうと思っていたのだが、思ったよりBeReal.に優位性を見出してしまった。
最終的にはやらない選択を取ったが、実際けっこー迷ったし、やっている人に対する理由のない嫌悪感のようなものは、一切が取り払われたと言って過言ではない。
(。-ω-)zzz. . . (。゚ω゚) ハッ!
さて。つべこべ言わずにまとめると。
Bをやる人の理由も、やらない人の理由もよく分かった。もちろん双方に納得できる言い分がある。個人的には、明確にやらない理由が無ければぜひ始めてみれば良いと思う。
食わず嫌いで生きていくには、人の一生は長すぎる。始めてみて、どうしても無理だったらやめるというのもひとつだろう。
じゃあお前も始めてみろって?
あ。いや、まあ。
それは、また今度で…許してください。
2024/10/3 6626字
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