今回は「2025年の話」
今年も残すところわずかとなった。というか最終日になっていた。というかこの記事を投稿するのはおそらく2026年になるだろう。
何を隠そう。この文章を書いているのは2025年12月31日の大晦日なのだ。
さらに詳しく言えば、8時33分の電車(高尾山口行)の中である。この日はG-tecという陸上チームの年末練習会に参加した俺である。
そんな年の瀬も末期に記事を執筆しているわけだが、「年末だからといって年末っぽい記事など書いてたまるか」という一抹の抵抗も虚しく、2025年を振り返る文章を書こうとしている。
あいも変わらず短い一年ではあったものの、印象に残るとまでは言わずとも思い出に残っている出来事は決して少なくなかった。
今回はそんな2025年を月ごとに振り返り、反省や称賛、叱咤に激励、懺悔と贖罪などなどしようと思う。
それではさっそく。
1月
正直、1〜4月の記憶は薄い。これは人間の記憶のメカニズムとしてはいたって正常であり、しかたのないことである。
そんな記憶薄弱月代表の1月は、毎年恒例の元旦競歩で幕を上げた。
「元旦競歩」なるものを知らない人に簡単に説明すると、元旦から狂ったように早歩きをする、ちょっぴり危ない人たちの大会である。
かくいう俺も2024年の元旦までは選手として参加していた。ただ、もちろん今年からは応援やサポートとして向かうことに。
なお、ややこしいかもしれないが2025年のことを「今年」として表現している。悪しからず。
2日と3日は箱根駅伝の補助員として駆り出され、理不尽な労働にむせび泣きながらも支給されたベンチコートを売っぱらった。

4日には奥多摩の山々を16キロほど走り、午後は高校の陸上部の集まりに参加した。
新年早々陸上漬けの日々に感謝感謝。
10日は非常に楽しいイベントがあった。というのも、小学校時代の下校仲間5人が7年ぶりに再会したのだ。
小学校卒業から一切連絡を取っていなかった友人もおり、その日は日付が変わるまで話し続けた。
1月後半には、人生初のパーマをかけたり怒涛のテスト期間をなんとかやり過ごしたりした。
最終日には高校の陸上部の記録集なるものを作るための会議が開かれ、それをもって1月は終了した。
なお、1月の中旬にアキレス腱をぶち壊したことも追記しておこう。
2月
この月最大のイベントは文句なしで「合宿」であろう。
2/4〜2/9の6日間に及ぶ陸上漬けの日々だ。しかしながら、1月の見出しの最後に書いた通りこの時の俺はアキレス腱を粉砕しており、まともに走ることはできなかった。
詳しいことは以下の記事に書いてあるので読んでほしい。

2月のその後は合宿ほど大きなイベントはなかったものの、いくつか紹介したいものはある。
1つ目は12月の中旬に行った父と姉とのドライブである。割と唐突に計画されたものだが、これは俺の運転の練習というのが名目である。
というのも、3月に友人と伊豆半島のドライブ旅行が予定されていたのだ。長らく運転していなかった俺に不安を感じた父によって計画された。
俺としても助かった。
また、目的地としていた寒川神社で厄除けっぽいことをしてもらい、その後姉は江の島水族館へと消えていった。
厄除けが効いたのか分からないが、2月の下旬にアキレス腱が治って俺ニッコリという話である。
この日の3日後、西東京市にある多摩六都科学館のプラネタリウムに行った。伊豆旅行の計画を立てる集まりと称してはいたものの、半分は俺がプラネタリウムに行きたかっただけである。
なお、この日はその友人の誕生日を祝う日でもあり、以下の動画にある貯金箱をプレゼントした。
そんなこんなで2月は終了。
3月
春休み全盛期となる3月は言わずもがな忙しかった。忙殺とまではいかないまでも、半殺しくらいにはなっていたと思う。
まずは3/2に東京マラソンの補助員に駆り出されというか狩り出され、またしてもむせび泣きながら支給されたウィンドブレーカーを売っぱらった。

補助員の仕事は理不尽で辛いものだが、微妙にお小遣い稼ぎになるのが唯一の救いである。
ただ、拘束されている時間をバイトに使ったほうがもらえる額は多いので、やはり割に合わないからクソである。
そんな愚痴もほどほどに、次のイベントへと移る。
東京マラソンから2日後、俺は広島へと飛び立った。飛び立ったと聞くと飛行機を使ったと容易に想像できるが、飛び立ったというのはあくまで比喩である。
実際は東京広島間を夜行バスで移動している。走行時間はおよそ13時間であり、もちろんそんな体験は初めての俺にとって、想像を絶する覚悟を要した。

この話も記事にしているので、ぜひ読んであげてほしい。

4〜6日は広島で特に何をするでもなくまったり過ごし、帰りも夜行バスを使って7日の朝に東京へと帰ってきた。
その日の夜は高校の陸上部の同期数名と集まり、定期的に行われる近況報告会が開かれた。
次の週には、先ほど紹介した大学の友人と伊豆にドライブ旅行に行き、豪遊の限りを尽くした。
そのまた次の週には草津旅行に出かけた。お相手は高校の陸上部の男子たち。ただでさえ硫黄の匂いで臭いのに、男臭さもまして大変だった。
ただ、この旅行のおかけで「男数人で行く旅行」の馬鹿みたいな楽しさに気づけたのが大きかった。
遊びもほどほどに、次の週末にはシーズンインの大会がやってきた。私学七大という対抗戦のオープン種目で2025年初の800mを走ったが、結果は2分超えという悲惨なものだった。

とはいえ、ケガ明け✕シーズンインということでそこまで落ち込むことはなく、逆に切り替えて「ここから上がるぞ」という覚悟を決めるきっかけになった。
うって変わってその1週間後。浪人していた友人の合格おめでと&お疲れ様を労る会が催され、高校の陸上部の大所帯が小さなレンタルルームに集まった。
その次の日。またしても高校の陸上部の同期数名と集まったわけだが、このように文章にしてみると、いかに大学の友人が少ないのかよく分かる。
いや、別に高校で友人が多かったわけではない。陸上部が異常に仲のよいだけなのだ。
何はともあれ、俺には非常にありがたい話である。
そんな感動不可避の小話で、3月は締める。
前後半で分ける
そろそろお気づきの人もいるかも知れないが、この記事で1年分書く気は全くなくなっている。
3月を終えた時点で3000字を超えており、この記事だけで1万2000字にもなると、いつ投稿できるか分からない。
なんなら記憶の薄い1〜3月でこの文字数なので、先が見えないというかお先真っ暗という表現が正しいかもしれない。
ということで、この記事では6月いっぱいまでを書くこととする。
何しろこの文章を書いているのは1/4なのだ。書き始めたのは去年の大晦日にもかかわらず(倒置法)
4月
そんなこんなで新学期。
色々ありそうで怯えていたが、カレンダーを見返してみると意外と何もなくあっさり終わってしまいそうである。
とはいえ。そもそも進級して新しい学年が始まるというだけで盛大なイベントと捉えることもできる。
立教大学のシステム上、どれだけ成績が低空飛行でも進級はするのだが、それでもやはり新たな環境には多少なりともワクワクした。
なお、2年春学期の授業は以下のものであった。

心理学科の名に恥じない授業の選び方をしており、土曜日の単位は落とした結果、21単位中19単位が心理学の科目であった。
そんなこんなで4月の前半は慌ただしく過ごしていた。
後半の記憶は全くないのだが、カレンダーには「映画 コナン」という文字があり、コナンの映画を観に行ったことだけは分かった。
毎年恒例の行事であり、新学期の訪れを感じさせる一種の風物詩という存在感もある。
また、月末にはシーズン2戦目の800mが訪れた。ベストからは1秒以上離れていたものの、着実に歩を進める一戦となった。

5月
新学期にも慣れ始め、5月病という仮病が蔓延する季節。
この月は陸上にどっぷり浸かっており、陸上以外の話はほとんどない。さっそく1つ目のイベントは「関東インカレ」である。
正式名称は「関東学生陸上競技対校選手権大会」といい、関東地方の大学生で標準記録を切っている者たちの大会だ。
残念なことに、出場にはほど遠い位置にいたため補助員と応援としての参加だったが、やはり競技者の端くれとして感じるものは少なくなかった。
簡潔に言えば「俺も出たい」という一心だった。4回ある出場の機会を既に2回つぶしてしまっていることに絶望しながら、残り2回への想いを強くする時間となった俺である。
分かりやすくモチベーションの上がった5月は、4月に103kmだった月間走行距離を167kmまで伸ばした。
下旬には日体大記録会に出場し、関東新人の標準切りに挑戦した。心身及び当日のコンディションは良く、気合を入れたレースとなった。
しかしながら、結果としては「納得しない自己ベスト」という表現がしっくりくるものだった。
特に、出場した自分以外のチームメイトが全員、各々目標とする標準記録を切っており、納得できるはずもなかった。
ただ、自己ベストでも納得していない自分に対しては、ひとつ得心がいっていた。

そんなこんなで、5月は陸上熱の高まるというか昂ぶる月であった。
6月
6月は頭から全日本インカレというビッグイベントがあり、その応援兼サポートのため岡山県まで足を運んだ。
もちろん現地まで行くことは強制ではなかったが、先輩方の引退レースや自身の後学のために始発と最終の便で日帰り岡山を決行した。
時間とお金はかかったが、悪くない経験をした。ただ、この経験を見合ったものにするかどうかは今後の俺次第だとも考えている。
この1週間後、国士舘大学競技会にて、先月同様関東新人の標準切りを目指すレースが行われた。
結果はまたしても失敗に終わったが、詳しくは以下に書いているので割愛する。

ぼちぼち焦ってきている俺であった。
そしてその6日後、さらに日体大競技会に参加し、無事撃沈した。焦っていたとはいえ、中5日で記録が出るほど甘い世の中ではなかった。

この時点での自己ベストが1:56.50であり、標準切りまで0.5秒というところだったわけだが、800mという種目において、この1/2秒という時間は短いようで手が届かないものだと痛感した俺である。
7月に期待…!
なお、6月の下旬には高校の陸上部の同期(男子)たちとご飯を食べに行き、なかなかに楽しい時間を過ごした。
その後は特になく、おそらく平穏な日常を送っていたと思う。ただし、先ほどから書いている通り関東新人の標準記録を切ることには焦りを感じていた。
タイムリミットは8月いっぱいだが、前半シーズンのレースは残り少なく、実質のチャンスは残り2.3回が関の山だった。
期待と不安、そして緊張の7月は次回の後編で。
まとめ
そんなこんなで2025年の前半を振り返ってみたが、長いようで意外とコンパクトにまとまってしまった。
とはいえ優に6000字を超えてしまっているので前後編に分けている。現在は1/9の13時33分だが、ここからレポートやテストが立て込んでおり、後編がいつ投稿できるかは定かでない。
そもそも暇な期間に書いた前編ですら10日間かかっているのだ。1月中に投稿できれば御の字だろう。
ところで。前編を書いてみて分かったことだが、2025年の上半期の出来事は陸上関係が多かった。
それもそのはず、俺の生活は基本的に陸上競技を中心に回っており、あとはたまの長期休みに旅行に行くくらいなのだ。
これはおそらく下半期たる後編にも通じているのだろう。しかしながら、これは全くもって幸せなことであり、やりたいことに集中できている今の環境に感謝するべきだと考えている。
大学生という、人生きっての自由時間を文字通りありがたく思いながら、2026年も勝手気ままに活動しよう。
とりあえず、かろうじて続いているブログに閑古鳥を鳴かせないよう、後編の執筆から始めるとする。
では前編はここらで。
今年もこのブログと筆者自身を何卒何卒…
2025/1/10 6839字
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