公正な平和を目指して。(レポートの話)

ひとりごとシリーズ

今回は「レポートの話」

本日、広島旅行1日目。記事を書くことができず、最終兵器を投入。

その名も「春学期のレポート紹介」

今日は、春学期に履修した「グローバル社会と平和構築」の期末試験で書いた内容をレポートにして投稿するぞ☆

とりあえずの毎日投稿を許してほしい。真剣に書いたレポートなので、許してほしい(2回目)

 

れっつごー

 「公正な平和」について考える上で、まずは公正の意味を正しく理解することが先決だと考えます。


 この公正という言葉と似ている言葉で公平や平等という言葉があります。公平とは、すべてのものを同じように扱い、判断や処理などが偏っていないことを表します。平等は個人間に、あるいは集団間に、何らの差別もない状態をいいます。そして今回取り上げる公正とは、公平で偏りがないことに加え、明白で正当性があることを言います。


 つまり、私たちは世界の平和を目指す上で、公平かつ正当性を蔑ろにしてはいけません。ではその公正な平和とはどのようなものなのでしょうか。私はこれを、国家間において公共の福祉に反しない自由が保障されている状態だと考えます。そのように考えたとき、公正な平和を妨げている要因を授業で取り扱った例を挙げながら述べます。


 一つ目の例は「東海」、「日本海」の命名問題です。これは、現在日本が日本海を唯一の呼称として扱い、それに対して韓国が東海を併記する要求をしている問題です。日本政府は一貫として両名併記を認めず、米国の地名委員会が唯一の公式的な名称であると正式に公表していることを根拠にしています。しかしながら、地名委員会では別名として(朝鮮)東海と表記しており、日本海の優位性を認めつつも唯一の公式的名称とは認めていないと考えられます。


 つまり、日本政府は確固たる根拠や明白な正当性なく、韓国の要求を理不尽に受け入れていない可能性があるのです。これはおそらく授業で話があったように、命名によって同じ事象でも与える印象が大きく変わり、日本海表記のほうが日本に有利なことが多いためだと考えられます。たしかに日本海に北朝鮮のミサイルが落ちることと朝鮮東海にミサイルが落ちるのでは、日本人の印象が大きく変わることは想像に難くありません。


 この問題が公正な平和を妨げていると考えました。韓国はあくまで両名の併記を要求しており、国家間で見た際の公共の福祉にも反しているとは思えません。ところが日本の対応は一方的で、公平性や正当性にも欠けていると感じざるを得ません。国や地域が公共の福祉に反しない範囲で自由を享受できることが公正な平和と考えたとき、他国の要求の正当性を無視し、自国の利益の追求を行う日本政府の対応には疑問があり、公正な平和を妨げていると考えました。


 ここで、もう一つ考えるべきこととして、日本人がこの問題に関してあまりに無知であるということです。かくいう私自身も高林先生の講義を受けるまでこの問題の知識は一切ありませんでした。もちろん日本政府としてはあまり国民に知られたくない内容だと考えられるため、あまり情報が出回っていない可能性もあります。しかしこの問題に対して無知であることは韓国に対して礼を欠く行為だと思います。国家間では理不尽に要求を却下され、かつ相手国民は問題の認知すらまともにしていない状態は決して許されることではありません。問題を知っている人が増えたところで、すぐに何かが変わるわけではないとは思います。しかし民主主義国家である以上、問題を知っている国民が増えることが与える影響は少なからずあると思います。少しでも日本国民がこの問題の認知をすることが公正な平和に一歩近づく行為なのではないでしょうか。


 二つ目の例はチャゴス諸島返還問題です。これは英国によってモーリシャスから強制的に分離されたチャゴス諸島の返還を巡る問題であり、今なお解決に至っていません。この問題の当事者であるアメリカとイギリスはロシアのウクライナ軍事侵攻に対して糾弾していますが、自国の行いから目を背けていると感じざるを得ません。これはウクライナとモーリシャスで比べたときに公平性を欠き、チャゴス諸島のディエゴ=ガルシア島に軍事基地を設置する正当性は極めて弱いと考えます。


素人なりにこの問題に目を向けた際、人権とはいともたやすく否定されるものだと考えました。今や多くの国で当たり前のようになっている人権の尊重ですが、一方で様々場面において当たり前のように人権が損なわれている事実から目を背けることはできません。この事例において引き合いに出されるものは安全保障だと思います。アメリカの、インド洋の軍事的空白に対する懸念から始まった軍事基地設営でした。もちろん安全保障に対して全面的な否定をするわけではありません。しかしながらそのためになんの罪もない1500人の人権が大きく損なわれることが正しいと思うことは到底できませんでした。安全保障が正しく機能しないことで損なわれる大規模な人権について考える必要もありますが、それらの不確定な予測のために少数が蔑ろにされることを許容する社会はあってはならないと考えました。もともと人権の尊重は、少数を蔑ろにしないための考えではなかったのか、今一度自分を含め社会全体で考える必要があるのかもしれません。


公正な平和を実現するために総じて必要なことは、無数に存在する社会問題の認知だと思います。先ほども述べた通り、認知によって即効性のある劇的な変化などを期待することはできません。しかしながら、特に日本のように社会制度などが整い、人権も手厚く尊重され、極めて多くの場合食べるのには困らない生活が保証されている国に住む以上、当たり前のようにこれらが蔑ろにされている現状があることを知る必要があります。それは一種のノブレス・オブリージュのようなものだという印象すらあり、義務に近い取り組みにすべきではないでしょうか。自分たちが恵まれていることを知り、公正な平和が妨げられている要因を認知することがその構築への第一歩になると信じます。

 

最後まで読んだ人は変な人

ここまで読んだ人は正真正銘の変な人ダヨ

また明日。

明日があればね🐱

 

2024/12/22 2720字

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