今回は「奢りの話」
先日、俺の運転の練習、そして本格的な天かすを求め。両親を連れて「丸亀製麺 武蔵境店」に赴いた。雨だったため、運転の良い練習(リハビリ)になった。ワイパーぶん回した。
その際、保険代650円が自費なことや、車を運転してくれたということで、両親に食事代を負担していただいた。
(∩´∀`)∩ワーイ
いわゆる「奢り」である。この世には様々な「奢り」があるが、今回に限っては「食事」についての話に限定する。
今は、この「奢り」について、半袖で家を出たことに後悔しながら、武蔵境駅のホームで記事を書いている。
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
寒い。ほんとに寒い。人生に一度だけタイムマシーンが使えるなら、1時間前に戻って上着を着る。
間違いなく。
嬉しい
まずは単純な感情から説明すると。ふつうに嬉しい。
( ^ω^ )ニコニコ
もちろん、保険代は自費だし、運転の対価でもあるのだが。そんなことを差し置いても、誰かのお金でご飯をいただけるというのは幸福なこと。
「お金」なんて言葉を使ってしまうと、いかにも実利だけに目を向けているように感じる。が、俺はそんなに目ざとい人間ではない。当たり前すぎてわざわざ言うのも馬鹿らしい。
(´Д`)ハァ…
おそらく、この幸福感は「誰かが、自分に何かをしてあげたいと思っている」という状態が生んでいるのではないだろうか。
普段、奢られるという経験が頻繁にないこともあり、シンプルに嬉しかった。
ときどき先輩にジュースを奢ってもらえるのも、狂おしいほど嬉しい俺である。
また奢って欲しいな…///
食べる量
奢りか否か。この事実の変動によって、その食事の量が変わる人がいるというのは、想像に難くない。
念の為、想像に難い人のために例を挙げると。「先輩(または恋人)の奢りだと、遠慮して食べる量が減る」や「両親の奢りだと、費用をあまり気にせず、食べる量が増える」などなど。
(´~`)モグモグ
他にもパターンはありそうだが、概ねこの2つだろう。
かくいう俺も例に漏れず、上記の意見に相違はない。と、思っていたのだが、もう少し考える必要があるように感じた。
検討①
まずは「先輩(または恋人)の奢りだと、遠慮して食べる量が減る」について。もちろん、ある程度は遠慮するのだが、あまり意識しすぎないようにしている。
というのも、自分が逆の立場のとき、同じく意識して欲しくないからだと思われる。奢りたいという俺の気持ちのせいで、相手の食べたいものが制限されてしまっては、元も子もない。
(;^ω^)
この思いの裏返しとして、俺もあまり遠慮しないようにしている。もし相手が全力で遠慮を願っていた場合は申し訳ない。
(*ノω・*)テヘ
絶対と言っていいほどあり得ないが、万が一俺に奢られる際には、なるべく遠慮しないことを心がけてほしい。
好きなもの、食べたいものを選んでほしいのだ。
検討②
次に「両親の奢りだと、費用をあまり気にせず、食べる量が増える」について。幼少期から培った「両親には奢ってもらえる」というバイアス。もはや「奢る」という言葉に違和感すら感じる具合だが…
小さい頃、両親の奢りで遠慮した経験がある人はおそらく少ない。というかほとんどいないと仮定してよいだろう。
( ・∀・)イイ!!
とはいえ、大学生になり、多くの食事の席を自費で過ごすようになると、たまに両親と行く外食で奢ってもらえることのありがたみを強く感じる。
かくいう俺も、先日の丸亀製麺では、このことを改めて実感した。「自分で払わない飯って、すげぇ…」運転の対価とは言われたが、そんなことどうでも良くなるほど幸福だった。
ありがてぇ。
もちろん、相手が両親ということもあり、全く遠慮せず、頼みたいものを頼みたいだけ頼む。ようなことはしなかったのだ。
これには、自分自身少し驚いた。両親には一切遠慮しないと思っていたからだ。自分が意外だった。
(゚A゚;)ゴクリ
もちろん、プチ贅沢として、普段より天ぷらをひとつ多く頼んだりはしたのだが。自分ひとりで来て、自費だったら「焼きたて肉うどん」(少し高め)を頼んでいた。たぶん。
この程度でお恥ずかしい気もするが、俺も少し大人になっているのかもしれない。
ちなみに、俺の「大人になる」のひとつの基準は、親を「親」という生き物から「人間」という生き物として認識することが挙げられる。
この話は、もう少し詳しく話すときが来るかもしれないし、多分来ない。
男女、奢る奢らない問題
既にこすられまくっており、擦り切れる寸前の話題ではあるが。「男女の奢る奢らない問題」というものがある。
このように聞けば、ほとんどの人が、いったいどのような問題なのか想像はつくと思うが、想像力の乏しい読者(失礼)のために軽く説明すると、「男女2人での会食の際、男が奢るべきか否か」という話である。
(´ε`;)ウーン…
いつしか「女性はメイクや美容などに時間やお金を多くかけているのだから、男が奢るべき。」という発言でYouTuberの深田えいみさんが炎上した。
これに対する男性側の主張としては、「奢ってもらうことが当たり前というスタンスの人間に奢りたくない。そもそも男女平等ではないのか。男だって服やヘアセットに時間やお金をかけており、単純に程度を比較することはできない。」などなど。
この男女間の論争に対して、俺の意見としては、「男は奢るべき」。
( ^ω^)おっ
さて、男性読者の支持を失い。さらに女性ウケを狙っているとして、女性読者からの好感度も失ったところで。弁解したいと思う。
というか弁解させてください。
弁解
まず初めに、そもそも人が人に奢りたいと思うときはどんなときだろう。俺の考えでは、「相手に好感を持っており、そして相手にも自分に好感を持ってほしいとき」ではないかと…
もちろん異なる場合もあるだろうが、大部分が上記に当てはまると思う。さらに男女となると「相手に自分を好きになってほしい」に尽きる。書いてて照れる。
(*´ω`*)
このように考えたとき、「奢る」という行為は、一種の恋愛の手段に過ぎないのかもしれない。つまり、相手に好かれるためにやっている行為でしかないのだ。
この「相手に好かれる手段」として、女性は服やメイク、美容にお金を多くかける。もちろん先述の通り、男性も自分磨きにお金をかけている。
( ・ิω・ิ)
ただし、現実を見よう。さすがにこの年になれば、平均的に見て、女性の方がそれらにお金や時間をかけている割合は多いことが分かる。何度でも言うが、男性だってお金や時間をかけている。人によっては男性のほうがかけていることもある。
しかし、往々にして女性の方が…(以下略)
すなわち、この女性の「努力」に対して、男性は「奢る」という手段を女性より使う割合が多いだけ。言ってしまえば「奢る」である必要はないのだが、一般的かつ手軽なため、使われているのだ。
よって「男は奢るべき」というのは、恋愛の手段として有効だとされているから、少しでも好かれたいなら、女性の自分磨きに敬意を払って、黙って財布出すべき。ということ。
もう俺を責めるのはやめてほしい。
苦情とかは、なんかてきとーなカスタマーセンターにでも送っておいてほしい。
対立の構造について
ここまで書けば、察しの良い読者は気づいたかもしれないが。この論争は対立関係に違和感がある。
(゚Д゚)ハァ?
というのも、この論争における対立は、多くの場合ネット上の「お互いに面識のない男女」である。「好きでもない男性」と「好きでもない女性」が対立を起こしているのだ。
ここまで不毛な対立があるだろうか。まず前提として「奢る」というのは、どのような形であれ、ある程度の好意が必要になるにも関わらずだ。だってさ、好きでもない相手に対して奢りたいなんて思う人はいないのでしょ?
結論から言ってしまえば、好きな女性に自分を好きになってほしい男性は、手段として「奢るべき」という話。もちろん奢らなくてもよい。が、同じ女性を好きな別の男性は、その女性に奢るかもしれない。その差のせいで自分が選ばれない可能性もあることは念頭に入れなければならない。
( ゚д゚ )クワッ!!
あくまで手段の一つでしかないのだ。深く考える必要はない。男性は、この論争で見知らぬ女性と争うのではなく、同じ女性のことを好きな男性と争うべきである。
これこそ、俺がこの論争の対立関係に違和感を持つ理由。本来「男が奢るべきか否か」というのは男性同士の争いのはずなのだ。見知らぬ女性と不毛な議論をしている暇があるなら、好きな女性を落とすために黙って財布を出しておけって話(2回目)
ただし、ここで考えなければいけないのは(考えなければいけないことが多くて困る)、実際女性はそこまで奢られることを求めていないということ。
結局は、全て男の杞憂なのかもしれない。
皆さんも、一部のネットの意見や知識に踊らされないように気をつけてください。
特にこの記事なんて最たるものですね。少し納得してしまった人も、俺が何を言っているのか分からなかった人も、全てはあくまで俺の個人的意見であり、男性・女性の意見を代表しているわけではないことを忘れずに。
(:3[▓▓]
そして、何か気に障ったとしても怒らないでください。許してください。
まとめ
結局、駄文の域を出ず、中途半端な結論で幕を下ろしそうなので。最後に俺の理想の男女の関係についてさらっと紹介して終わらす。
なんだかんだ言って、男女問わず「奢りたい」と思えるタイミングに奢るような関係がいいですね。それに対しては、お互い変に遠慮することなく、一言「えー!うれしい!ありがと!」と言っておけばいいですよねー。
そんでもって、後日「今日は俺(私)が払っちゃおっかなー。」って返すような関係がいいですよねー。基本は割り勘でいいんちゃいますか。知らんけど。
お付き合いする前だったら。好きな相手が奢ってほしそうで、奢ってあげたいと思ったときに。好意の表現や恋愛の手段として奢ればいいんちゃいますのー?
「奢り」というシステムは、あくまで奢る側のためにあると思っていたほうがいいかもしれないね。
なんかもうどうでもよくなってきたわ。
みんな幸せになりやがれ。
2024/10/9 4327字
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コメント
自分が誘ったらおごりますね
相手が年下なら