今回は「気づきの話」
一月末ぶりの”ひとりごとシリーズ”である。
そもそもそんなシリーズなど知らんという人がほとんどだとは思うが、ブログの上の方にページがあるので気が向いたら他の記事も読んであげてほしい。
前回は俺の所属する「立教大学体育会陸上競技部名前長すぎ」における部員日記と称した自己紹介をブログにもアップした。
どんなシリーズかと聞かれれば「俺が思ったことを書きなぐるサンドバッグ」的なシリーズだ。
そんなわけ、最近俺が思ったり感じたりしたことを書きなぐってみよう。
俺のいない場所でも、地球は回っていたらしい。
さっそくタイトル回収。
ついこないだ、流行りに身を任せて「チ。ー地球の運動についてー」を読んだ俺だが、今回はそれに関する話ではない。
決して地球の自転に感動した訳でもなければ、天が動いていると唱えて逆ノヴァクさんに異端審問を受けたいわけでもない。
では、一体全体何が言いたいのか。
それは「俺の知らない場所でも、友達は生活していた」という話だ。
当たり前だろ
「当たり前だろぶん殴るぞ」と心の中で思った画面の前の短気な読者のために書いておくと、まったくもってその通りである。
俺の知らない場所でも、みんな当たり前のように過ごしているのだ。そもそも、一生のうちに知り合う人数すらたかが知れており、現在進行形で頻繁に連絡を取っている友人などリアルに片手で数えられる。
決して俺の片手が20本あるなんてオチでもなく、友人の多くない人間からすればそこまで不可思議なことでもない。三番目に頻繁に連絡を取っている友人より、公式ラインのほうがメッセージを送ってくるほどだ。
とまあ、ここまで俺の友人少ないアピールに付き合っていただいたわけだが。今の話は現在進行形で連絡を取っている方々の話であり、さすがの俺とて小学校や中学校、高校時代の友人を大集合させて劇場版プリキュア並みのオールスターズにすればそこそこの数がいる。

今でこそ友人少人数派閥に追いやられている俺だが、昔はそうではなかった。と信じている。過去の栄光すら幻覚の可能性がある絶望だ。
ただし、前述の通りほとんどの彼ら彼女らとの関係は絶たれており、今現在連絡先を知らない人間ばかりである。
なぜ連絡先すら知らない?
このSNS一強時代にZ世代として生を受け、なぜほとんどの人間と連絡先すら知らない関係なのだろうか。この疑問には案外簡単な回答が待っている。
「中学時代は携帯を持っておらず、高校時代はインスタをやってなかった」からである。
特に前者は致命的であり、これが理由で中学時代の友人の連絡先をほとんど持っていないのだ。当時、中学生の間は携帯を持たせたくないという親の教育方針によってスマホを持っていなかった俺。
その代わりと言っては何だが、我が家ではパソコンが支給されていた。これには、俺が親の仕事の手伝い(経費で落としたレシートのエクセル表管理)で使うという名目もあったが、youtubeを見たりyoutubeを見たりするなど活用していた。
ただし、当時パソコンでラインができるなど知らない(どころかその発想すらない)俺は、このSNS鬼つよ時代にLINEを封じ生活していた。
そんな平成の虚しき遺産として名をはせていた俺だが、我々が中学生の時代にはまだスマホを持っていない生徒も一定数存在し、そもそも学校では使えないので困ることも少なかった。
ちなみに。現在中学生をメインターゲットにしている塾で講師をしているが、スマホを持っていない生徒はいない。恐ろしいほどに時代は進んでいるらしい。
もちろん。あれば便利だったことは間違いないが、当時はその分中学生時代にたくさん触れることのできたアニメや漫画、ミステリー小説などのコンテンツが印象的に記憶に残っている。
ので。親には感謝している。
スマホGET
そんな俺にも、ついにスマホを手にする時がやってきた。
それは中学三年の二月の末。都立高校の試験を終えたときであった。そのころからガジェット類に興味があり、入試後からどのスマホが自分に合っているか調べていた俺は、一代目の相棒をHuaweiのnova 5tという、おそらくこの記事を読んでいる誰も知らない機種に選んだ。
そんな相棒を半年後に売却するとは、このときの俺は知る由もない。ちなみに、高校三年間で4台のスマホを売り買いしていたド畜生である。なにが相棒やねん。
スマホを手に入れた少年だったが、連絡先を交換したのはその時仲の良かった数名ほどである。正確な人数は覚えていないが10人に達しているかいないかの瀬戸際だと思われる。
中学入学と同時にスマホを持っていた人は、三年間のあらゆるタイミングで、その時仲良くなった人と連絡先を交換していたと想像できる。しかしながら、そうではない俺はわざわざ中一のとき仲良かったかつ今は話していない人間と、連絡先の交換はするはずもなかった。
なんとなくインスタを始めることもなく、そのまま卒業してしまったのだ。
高校では…
高校では、ラインは使っていたもののインスタへの参入は控えており、ラインにて仲の良い友人とのメッセージに勤しむ毎日であった。
卒業後にようやくインスタを活動させたが、ここで中学時代と同じ現象が起きた。というのも。賢い皆さんのことなのでわかるだろう。
三年間の累積ではなく、卒業時にも仲の良かった人とだけインスタを交換したのだ。言ってしまえば、フォロワー全員が”親しい友達”のような状態だ。
そろそろ本題に入ろうか
ここまで、現在に至るまでの話を長々と書いたのだが。正直高校の友人に関しては定期的に会っており、存在を感じる機会は多い。
それに伴い、今どのようなことをしているのかも比較的情報が入ってくる。
そう。今回書きたい「俺が知らない場所で生活していた友人」というのは、何を隠そう小・中学校時代の友人たちである。
最近、というか大学生になってから小・中学校時代の友人に再開する、または再会した人づてに他の友人たちの情報を知る機会が倍増した。
そもそも高校時代にゼロだったこともあり、倍増という表現は間違っているかもしれないが。つまるところ圧倒的に増えたのだ。
やれ○○がどうしている。あいつは雰囲気変わった。最近では、比較的まじめな雰囲気だった友人が新宿東口の雰囲気になっているという何とも言えないリークも入ってきた。
極めつけは今年の一月。なんと小学生時代の下校仲間5人が7年ぶりに再会したのだ。当時は毎日のように一緒に下校し頻繁に遊んでいたが、中学入学と同時に一人他県に引っ越したこともあり、完全に疎遠になっていた。
それがひょんなことから去年の冬ごろから連絡を取り合うようになり、奇跡の邂逅にこぎつけたというわけである。
生きていたか…
当たり前のことかもしれないが、みんな俺の知らないところで生活しており、立派かどうかは分からないが生きていたらしい。
かくいう俺も、立派とは言わずとも生きていたので当たり前のことではあるのだが。それぞれがそれぞれの知らない場所で友人を作り、ちゃんと高校生なり大学生をしていたのだ。
重複にはなるが、これらは全て至極全うであり、自分以外が中学時代の姿で停滞しているわけでないことなど言うまでもない。
ただし、そんな当たり前のことに直面する機会は意外となく、ここ最近まで意識せずに過ごしてきた。
俺が知らない彼らの話は、どこか彼らではないような。それでいて、まぎれもなく本人たちの話なのでとても新鮮で面白かったのだ。
まだまだ再開した友人たちは一部である。にもかかわらずこの面白さなのだ。同窓会に行こうものならどんな話が聴けるのか。
今から楽しな俺であった。
久しぶりにこーゆー記事も悪くない
読んでいる人がどのように思ったのかは図れないが、たまには”ひとりごとシリーズ”も悪くないと感じた日になった。
何しろ、根本的に自分のことが好きじゃない人間など滅多におらず、自分語りの記事が楽しくないわけもない。
最近は旅行の記事か陸上の記事かお金の話しかしていなかったので、久々にブログを始めた当初の感覚を取り戻すこともできたのではないだろうか。
味を占めてしまったので、もしかしたらひとりごとシリーズもとい自分語り記事が増えるかもしれないが、なんとか我慢しながら読んでほしい。
それではまた。次回のひとりごとでお会いしましょう。
p.s
最近永田カビさんのエッセイ漫画にハマっている影響で、少し自分の内面を書いた記事を執筆したくなったという理由もありましたとさ。
2025/5/20 3927字
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