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今回は「2025年夏、旅行の話③」
9月の話をいつまで書いてんだよ。という至極真っ当な指摘はさておき、前回に引き続いて夏旅行の話を書いていく。
もはや、12月になってもなお旅行の記憶を留めようとする俺の努力を評価した上でヨシヨシイイコイイコしてくれても良いと思う。
( T_T)\(^-^ )ヨシヨシ
そんな冗談はさておき。今回はようやく2日目に着手する。といっても一泊二日の旅行なので最終日だ。
この日の予定は全く決めておらず、車で移動しながら行き先を決めた。いつにもまして行き当たりばったりではあるが「それもまた一興」という無敵ワードに身を委ねた我々である。
唯一決めていた目的地はひとつ。『立教大学新座キャンパス』だ。①の記事で書いたことを忘れている人からすると、あまりにも珍妙な目的地かもしれない。
というか、覚えている人などいないことを考慮すると全会一致で意味不明だろう。
そんなわけで、①の記事より引用↓

事前に、18~19時くらいでキャンパスに着く予定を組んでいた。それに合わせて、道中にある観光地をしゃぶり尽くしてやろうという話だ。
例のごとく前置きが長くなってきたため、ぼちぼち本編に進もうと思う。
れっつらごー
朝風呂と朝猫
一日目の夜、恋に恋するボーイズトークに花が咲き深夜まで起きていた、なんてことはなく、見事11時頃に就寝した我々だった。
8時過ぎに目を覚ました俺が最初にしたことは、朝風呂への出撃だ。
未だ寝息を立てているAを起こさぬよう、抜き足差し足で部屋をあとにし、宿のお風呂に向かった。
ペンションということもあり、もちろん大浴場などはないのだが、少し大きめの貸切風呂を使わせてもらえた。
時間を気にする必要もなく、だらだらと湯につかって朝を過ごした。そして風呂から上がったところ、前回にも話したネコチャンが朝の挨拶をしに来てくれた。わけではないかも…



そんなこんなで癒される早朝を過ごし、その後起きたAとともに朝ご飯をいただいた。写真を撮るのを忘れていたが、朝食は昨晩コンビニで調達したおにぎりやらみそ汁やらを食らった。
旅行の朝ごはんにはアサリの味噌汁という謎のこだわりを持っている俺である。
出発
朝食後は部屋で時間で過ごし、チェックアウトの時間に合わせて宿を出発した。
出発前に、施錠の向きに違和感のあるドア限定でルームツアーを開催したので、この場を借りて供養する。
出発前にルームツアーという新しい風を吹かせた後、女将さんの待ち伏せる玄関方向へと歩を進め、見事チェックアウトを済ませた。
ペンションの駐車場に着き乗車した時点でさえ、行き先を決めていたかどうかは定かではないが、我々がナビに登録したのは「白糸の滝」であった。
出発シンコー(^O^)/
白糸の滝
「日本の観光地のおよそ7割が滝である」という、かのニュートンの名言はご存知だと思うが、これは事実である(諸説なし)
それはそうと。一日目に軽井沢の街を徘徊した我々は、ペンションから近い観光地を探していた。
最初に候補に挙がったのは「雲場池」という大きめの水たまりだったが、ここは周辺に駐車場を断固として置かない暴挙に出ていたため、却下。

赤字を見るとわかる通り、雲場池の駐車場は軒並み利用不可、路上駐車は親の仇が如く禁止していた。
一般的な大学生であれば「少しならいいっしょ☆」と路上駐車をしそうなものだが、さすがは近年まれに見る倫理観を持った我々だ。
雲場池など少々大きい水たまりだと負け惜しみを言いながら、別の観光地を探した。
その結果選ばれたのが例の滝である。
道中「白糸の滝有料道路」という、ただの道で500円を取られるイベントはあったものの、むせび泣きながらもなんとか乗り越え、その場所へと到着した。
車を止めてから10分ほど歩くとお目当ての滝が現れ、その滝は滝以上でもなく滝以下でもない滝をしていた。
ちなみに、昔から「〇以上でもなく〇以下でもない」という表現では〇も範囲外では?と考えないこともないが、今回はあえて言及しない。




滞在時間数分の後、そそくさと駐車場に戻る道中でお土産や五平餅なんかを購入した。


そんなこんなで。白糸の滝、完!
群馬サファリパーク
白糸の滝を後にした我々が次に向かったのは、「群馬サファリパーク」

「最後に行ったのは小学生」でおなじみのサファリパークだが、例にもれず俺も小学生ぶりだった。
今回、なぜここに行くことになったのか気になって夜も寝れない読者がいることは想像に難くない。しかしながら、残念なことに大した理由はなく、最終目的地である立教大学新座キャンパスへの道のりにあったからという話である。
こんな理由で立ち寄ることに一抹の罪悪感を噛みしめながら、それでも勇気を振り絞って入園を試みた。
そんな我々を阻んだものが入園料である。
もちろん、タダで楽しめる場所でないことは自明の理。とはいえ、2人で6400円という費用は想定外だった。
調べたところ決して珍しい金額ではなく、あの富士サファリパークの入園料も同じく一人当たり3200円という話だ。
妥当な値段というのは分かったが、はたして金なし夢なし希望なしの我々が払っても良い額かどうかは分からず、一度駐車場に車を止めて入園するかどうかの発議が成された。
検討に検討を重ね、検討のミルフィーユが店頭販売されたころ、「せっかくの旅行なので行こう」という、何のひねりもない意見で入園が決定した。
園内では、動画のように車のまま進み、自家用車で来ていない人はバスのようなものに乗っていた。
動物は多種多様、住んでいる地域ごとに分けられて配置されていたが、今回は記憶に残っている者たちだけをざっくり紹介する。
理由は早く書き終えたいから。





こんな具合である。なかなか久しぶりのサファリパークだったが、普段できない体験で興奮した。たしかにこの環境を維持することを考えると3200円は妥当だと感じた。
おそらく俺は当分行かないが、最後に行ったのが小学生であり、そこら中に散りばめられた動物のために3000円程度払える人であればおすすめする。
廃遊園地とおまけの動物たち
サファリパークを出て、駐車場に車を止めると、併設されている遊園地に目が留まった。
正確に廃業しているかどかは分からないが、全てのアトラクションが活動を停止しており、残されたいくつかの動物ふれあいコーナーだけが残されていた。








遊園地ゾーンは完璧に営業していなかったが、そんな遊園地を何の気なしに徘徊していると、奥の方になにやら動物の気配がした。
恐る恐る向かってみると、そこにはうさぎとポニーがひっそりと配置されていた。
まったく。廃遊園地の奥地という、早稲田大学所沢キャンパスも悲鳴を上げるほどの立地の悪さであり、年間に訪れる人数は片手で数えられそうな景色が広がっていた。



サファリパークに配置されることはなく、あくまでふれあい系の動物として遊園地にいることは容易に想像できるが、遊園地のアトラクションが動いていない以上、触れ合う機会も少ないのだろう。
飼育員を除いて、我々以外の人間の気配は感じられなかった。

サファリパークに置くことはできないが、殺すわけにもいかないのでとりあえず寿命まで世話をしている状態だと考えられる。
観光しながら、ここまで何とも言えない焦燥感に駆られたのは初めてだったが、裏を返せば特別な経験ができてよかった。
特に廃業した遊園地の中を歩くのは非常に貴重な体験であり、立ち寄った甲斐があった。
このように、日常でありえない状況に立ち会えるのも旅行の醍醐味だ。というそれっぽい話でいったん締めようと思う。
昼食はマック
サファリパークと廃遊園地を後にした我々は、一度腹ごしらえをすることに。
向かった先は「マクドナルド 富岡バイパス店」
旅行の終盤にマックが食べたくなるのは、東は日本、西はウガンダまで共通する現象だが、例に漏れない我々だった。

きっと次の旅行でも、終盤にマックを食べることになるのだろう。
こんにゃくパーク
ファストフードで雑なエネルギーを補給した後、次なる目的地へと歩を進めた。
サファリパークとマックで合計4000円程度使っていた我々は、この日はもう一銭も、びた一文も払わないという固い意志を持ち始めていた。
ところがどっこい。そんな貧民たちに最適な観光地が、車で7分という位置にあった。

都合が良すぎると指摘したくなる皆さんの気持ちが分からないではないが、実際あったのだから許してほしい。
そしてその場所がこちら、「こんにゃくパーク」である。

パークとは言うものの、その実態はこんにゃく工場であり、いわゆる工場見学で来るような場所だと考えていただいて差し支えない。
しかしながら、他の工場と一線を画すイベントがあることを語らずにはいられないのだ。
それが「こんにゃくバイキング」だ。

多種多様なこんにゃく料理をバイキング形式で楽しむことができるのだが、これが完全に無料なのである。
なお、「完全に」という強い言葉を使ったのには理由がある。というのも、工場見学にも費用はかからないのだ。
つまるところ、こんにゃくパークで見学とバイキングを楽しむための必要経費は交通費のみとなる。
もちろん。こんにゃくパークは慈善活動をしたいわけではなく、こんにゃくに特化した大規模な売店を用意することで費用の回収を図っている。
ただ、「金落とせ」感は一切なく、あくまで「こんにゃくを楽しめ」という圧が感じられるだけである。
以下はこんにゃくパーク内の工場とバイキングの一部始終である。



そんなこんなで大満足。
一生分のこんにゃくを視界に入れた気がするが、ありがたいことに一生はまだ続くため、俺は常人より多いこんにゃくを見た人間として死んでいくのだろう。
そんなカスのような感傷に浸りながら、こんにゃくパーク編に区切りをつけようと思う。
いざゆかむ、立教大学
こんにゃくパークでの大満足工場見学を終え、旅行の行程は俺が立教大学新座キャンパスに舞い降りることを残すのみとなった。
途中、後ろを運転するのが怖いキャリアカーなどを見つけながらもスムーズに進み、予定していた時間よりも早くキャンパスに到着した。

なお、このあと行った練習の調子はいまいちだった。
その後、旅行の全行程を終えた我々は、それぞれ帰路についた。
おわり
やっと書き終えた。
9月の頭に行った旅行だったが、①の投稿が11/15、②は12/1。挙句の果てに本記事③は12/21という無残なものとなった。
これらは全て俺の怠惰が原因であり、ソクラテスも呆れるほど弁明のしようがなく、懺悔の一途をたどるのみだ。
とはいえ。なんとか書き始めて書き終えることができてよかった。これにより、今後この旅行の思い出は残り続けるだろう。
もちろん読者のみんなに読んでもらうことが大きな目的だが、やはり一番は自分のため。
「人生は、死ぬ時に思い出す記憶を作る作業」とはよく言ったものだが、あながち間違いではないと思っている。
記憶の忘却に対して強い恐怖や不安を感じる俺としては、写真や文章などで形を残し、思い出したいと感じた時に思い出せるようにしておくことは非常に有意義なことなのだ。
とまあ。かっこつけたことを書いてはいるものの、畢竟「忘れたくない」というだけである。
ブログを作って記事にしろとまでは言わないまでも、ぜひ皆さんも旅行に行った際は写真に加えて記憶に残したいことのメモを作成してはいかがだろうか。
それらが将来の青い財産になることに、議論の余地はないだろう。
2025/12/21 5699字
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