今回は「子どもの話」
先日、大学からの帰り道でのこと。隣の座席に、赤ちゃん(推定5〜7か月)を抱えた、とある母親が座ってきた。
1〜4限、そして部活のポイント練習をこなしたこの日だったが、突如隣に現れた赤ちゃんによって癒された。
(*´ω`*)
そんな何気ない日常のエピソードを、ちょいキモ記事として残す。
どんな特級呪物ができてしまうのか、些か不安ではあるが。なるべく皆さんが不快に思わないように書くので、ある程度は我慢してほしい。
それではさっそく。
出会い
母親着席後、赤ちゃんは抱っこされるかと思われたが、そのまま母親の膝に着席。前を向いている状態でちょこんと座っていた。
_( ˙꒳˙ _ )チョコン♡
つまり着席on着席。
「か、かわえぇぇ。」タイトル回収。
プリンの上にホイップクリームをしぼった光景を想像していただけると、たいへん分かりやすい。
果たしてその魅力は底を見せない。
(゚A゚;)ゴクリ
この時点でだいぶ癒されていた。時計の針は、すでに午後7時半を過ぎていたが、「今日はいい日になるな。」と。
しかし、事件はここで終わらない。
きさま!見ているなッ!
さて、見出しを使って雑なジョジョネタをかましたところで(わかってくれた人がいたら嬉しい)、本題に入る。
着席on着席に感涙を隠せずにいると、間髪を入れずに何やら違和感を感じた。
この違和感を解明するため、我々探検隊はアマゾンの奥地へと足を進める。ことはしなかったが、感じた違和感の正体は「視線」だと分かった。すぐに(倒置法)
じー(´◉ω◉` )
皆さんも、一度は見知らぬ赤ちゃんに凝視された経験があるだろう。奴らは、いかにして見知らぬ我々を見つめてくるのだろうか。
その答えはこちら。
簡潔にまとめると「人として認識した上で、相手情報を得ながら、安全な存在かどうか観察している。」といったところだろう。
つまり、俺が安全な人間かどうか確かめていたのだ。
なるほど。やけに長い時間凝視されていた理由が分かった。
なかなか安全だと判断できなかったことが想像できる。「賢い子だ。」とか思った画面の前のおまえ。だまっとけ。少し発言を慎んでほしい。
俺ほど安全な存在はいない(断定)
気まずい…
赤ちゃんの凝視はなかなか終わらず、まだまだ俺を安全と判断できていない様子。一方俺も、負けじとちらちら赤ちゃんの様子をうかがうのだが、赤ちゃんは相変わらずかわいい(?)
(/ω・\)チラッ
親ばかならぬ他人ばかを発動してしまっているの俺だが、本当は凝視したい欲望を抑え、チラ見で我慢しているのには訳がある。
それは、赤ちゃんの母親の存在だ。
現在、母親の上に座っている赤ちゃんは横を向いて俺を見ている状態。この赤ちゃんを見るには、同時に母親も視界に入れる必要がある。
気まずい。というか、さすがに申し訳ない。
いや。もちろん、ちらちら赤ちゃんを見るときにも視界には入っているのだが。さすがに凝視ともなると書類送検では済まされない可能性がある。
(*´Д`)ハァハァ
まだ捕まるわけにはいかない。
別れ
赤ちゃんの視線は、俺に向けられて止まったままだが、電車は動き続ける(うまいことを言おうとしたが微妙になった)
たった今到着した駅は「西国分寺」
立ち上がる母親。
抱きかかえられる赤ちゃん。
別れは唐突に訪れる。
離れる視線。
赤ちゃんの興味はとっくに俺から母親に移っていた。
結局、最後まで俺が安全認定されることはなかった…
子ども好き
文章を書きながら、「もしかして、俺きもい…?」とか思ったが。おそらく気のせいなので無視して記事を作成し続ける。
子どもが好きである。特に赤ちゃんの可愛さは類を見ない。もちろん小学生や中学生もかわいいが、奴らはなまじ人語を解せる分、とっっっても生意気。
まあ、その生意気さもめちゃめちゃ可愛いのだが。
カワ(・∀・)イイ!!
主に小中学生相手に個別塾の講師をしているが、将来も子どもと関わることのできる仕事に就きたいと考えている。今一番目指しているのは「スクールカウンセラー」
全く関係ない仕事に就く可能性もあるが、どんな形であれ、子どもとは関わりたい。自分もまだまだ子どもなのは100も承知だが、子どもは宝なのだから。
ワンピースは、ここにあった…
これからのこと
ひとつ考えるのは、自分が子どもを持ったとき。溺愛する予定が詰まっているが、もちろん「かわいい」だけで終わっている今とは違い、不安やイラつきなどの感情も出てくるだろう。
それらから目を背けず、そして今感じる以上の「かわいい」を存分に感じることのできる人間になりたいと思う。
(/・ω・)/
ちなみに、子供は3人欲しい。大学無償化制度を視野に入れて、できるなら年子で。ただし、これは費用面も含めて奥さんとよく話し合う必要があるので、慎重な対応が求められるが…
どのように生きても、人生は苦しいし忙しくなる。それならば、中だるみの可能性がある30~50代は、最高に忙しく苦労したい。
そんな計画で生きている。まあ、今のところはではあるが。もちろん変わる可能性は大いにある。
(;^ω^)
とはいえ、あくまで自分の人生。子どもに生活の全てをささげるつもりもない。育児は、自分の老後の投資としても考えることができるのだ。
現在ですら、年金だけを頼りに過ごすには不安が多い。いはんやこれからをや、である。
多くの面倒を見てもらうつもりはないが、自分より若い世代に頼れる存在がいるというのは、じいさんの精神衛生上としても助かる。
そして、死ぬときは数人の孫に「おじいちゃん!しんじゃやだー!」と言われながら逝きたい。
ああ、いい人生じゃった…
2024/10/13 2492字
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