今回は「遅刻の話」。
先日(9/25水曜日)、1限に授業があるにも関わらず、寝坊した。1限のある日は、いつも7時に家を出ているのだが、その日布団から体を起こしたのはAM6:30。
ヮ(゚д゚)ォ!
もしかすると、人によっては30分もあれば準備には余裕かもしれない。が、俺は朝にシャワーを浴びる習慣も相まって、1時間は欲しい。
ちなみに、6:30に体を起こしたと書いたが、目を覚ましたのは5:30。春学期、水曜に1限がなかったことで何かを勘違いし、6:30まで布団で漫画を読んでいた。
(:3[▓▓]
↓漫画の話もあるので、ぜひぜひ
あれ、今日1限じゃね…?
タイトル回収。
気づいた瞬間飛び起きた。急いでバスタオルを取り、身体を纏う布という布を剥ぎ取る。某メンズコーチの言葉を無視して、温かいシャワーを浴びる。
すると不思議なことに、少し冷静になってきた。温まる身体と冷静になる脳のコントラストは、俺に微かな興奮を覚えさせた。
(^ρ^)
近頃の朝は、涼しさの柵を飛び越え、寒さを感じさせる。本当は浸かりたい湯船を横目に、頭から水滴を垂らす。足元に落ちる雫は、果たしてシャワーなのか、情けなさによるの涙なのか(シャワーです)
間に合うか?
シャワーを終え、身体を拭きながら、出発までにしなければいけないことを明確にする。着替え、ヘアセット、部活等の準備、家族へおはようのキス。 朝ごはんは大学で食べれば良い。
(´~`)モグモグ
脱衣所から出てきた俺は半裸、鍛え上げられた肉体に、家族は誰も見向きもしない。いつもだったら見せつけるところだが(嘘)、今日は許す。
急いで着替えて、髪を乾かす。浸透の時間すら与えられないヘアオイルに涙を禁じ得ない。が、そんなことを気にしている暇はない。
ヘアセットが終わった時点で6:55。この時点でいつもの電車(7:14発)は諦めた。目指すは7:25発。この電車でも遅刻になることはない。
余裕の誕生…!
7:10に家を出ればよい。この事実は、俺に余裕を与えるには十分すぎるものだった。
とはいえ、朝ごはんを食べる時間はない。部活の準備を行う。こーゆー寝坊した日に限って、プロテインが底をつき、新しい袋を開けなければならない。
(;´д`)トホホ…
この、「寝坊した日に限って」という現象は世界各地で確認されており、WOOこと世界遅刻防止機関(WORLD ONTIME ORGANIZATION)は迅速な対応を求められている。
そんなこんなで、なんとか出発までこぎつけた。家の扉に手をかけたのは、AM7:10。
(((((((((((っ・ω・)っ ブーン
到着
結局、大学に着いたのは8:30。授業開始20分前という十二分過ぎる成績でフィニッシュ。
もしかすると、いつもの到着時間は早すぎるのかもしれない。
(´・ω・`)
「遅刻の話」とか言っておきながら間に合ってしまって申し訳ない。心の底から俺の遅刻を願っていた読者の諸君には、ざまあみろこの場を借りて謝罪の意を捧げたい。
(人∀・)スマン
時間の使い方
一件落着ではあるのだが。
ここで終わってしまっては、心理学科の風上にも置いてもらえない。なんとか風上においてほしい俺は、もう少し書く。
_(┐「ε:)_
察しの良い皆さんのことなので、俺がこれから「パーキンソンの法則」について書こうとしているのはお見通しだろう。
念の為、上記の法則の説明をする、ウィキペディアが(倒置法)
パーキンソンの法則とは、「仕事は、完成までに利用可能な時間を使い果たすように拡大していく」というもの。
少し難しいが、つまり本来40分で終わるはずの朝の支度は、1時間という時間を与えられることで、その1時間を目一杯使って行われる。ということ。
(;´Д`)ハァハァ
実際、いつも1時間かけて行っている支度が、40分弱で終わった。このように考えると、なんだかいつもは無駄な時間(20分)を過ごしているようにも感じられる。
しかし、決して無駄な時間ではない、と思う。たぶん。
というのも、この20分は人生に余裕をもたらす時間なのだ。いつも急ぐことで20分を浮かすことができるかもしれないが、急ぐという行為は言わずもがな、疲れる。
20分休むために疲れるというのは、非常に本末転倒極まりない。
もちろん、「その20分寝ていたい」という意見はよくわかる。つまり、この論争に関しては、あくまで個人の好み。結局この結論に行きつく自分に、少々がっかりしているが、しょうがない。許して。
(「・ω・)「ガオー
まとめ
今回は、遅刻の話と嘘をつき、最終的には時間の話を書いた。若干、友人のリクエストもあったので、なんとか許してほしい。
(;^ω^)
高校時代、よく時間の使い方について考えた。そして大学生になった今も、その思考が忘れられることはなく、日々の時間をどのように過ごしていくか、時々考える。
「どんな人間にも、時間は平等に与えられている。」
考え方によっては、この言葉の信憑性すら危うくなる。例えば、莫大な資産を受け継いだ子どもは、働かなくも生きていける。その分働く人より、時間を自由に使えるかもしれない。
果たしてこれを、平等に時間を与えられていると言えるのかどうかは分からない。とはいえ、このブログを読んでいる多くの人間の時間は、概ね平等に与えられている。
(*^^)v
どのように使うのが良いのか、考える必要があるかもしれないし。
その考える時間に、何か行動したほうが良いかもしれない。
さて、明日は何をしよう。
2024/9/27 2387字
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