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本日は「2025年夏合宿の話⑥」
このシリーズもついに⑥、つまり6日目ですなわち最終日までやってきてしまった。
途中レースの話を2回ほど挟んだが、それ以外は夏合宿の話ばかり書いており、そろそろほかの記事にも手を付けたい頃合いである。
最終日は朝練と午前練習でメニューが終了し、その後は帰宅なのですぐ書き終わる予定だ。
最後だからといって油断する訳ではないが、最後だからといって色々書こうとはせず、さくさく執筆するつもり。
①から⑥まで欠かさず読んでる変な読者諸君は、きっとこの完結編を涙なくして読むことはできないだろう。
それではさっそく。
6日目(朝①)
前回の内容を覚えている人は、この日の俺が最低な睡眠状態で目を覚ましたことに疑問は覚えないだろう。つまり、覚えている人は覚えがないというややこしい状態だが、この日の睡眠は控えめに言ってドブだった。

覚醒せずに途切れなかったというお褒めの言葉を授かり、なんとか目をこじ開けた俺は、着替えを済ませてAwful Morning Training通称朝練へと向かった。
この日はこれまでとは打って変わって午後練習がないため、朝練の強度を高める予定だったが、同時に同期のJと近くのダムを観に行くという話が上がっていた。
睡眠の状態は最低だったが、一度身体を起こしてしまえばそこまで絶望感はなく、ダムを観に行くというミッションは敢行された。
なお、この後絶望感を味わうことを、この時の俺は知らない。
6日目(朝②)
いつものジョグコースから外れ、ダムがあるとされる方に足を進めたが、なんだか不穏な空気が漂ってきた。
というのも、当初我々が想定していたより距離が長く、何より勾配の急な下り坂が続いていたのだ。
「日本は下り坂と上り坂のどっちが多いでしょう?」
「うーん…下り坂!」
「ざんねーん!下り坂も下った後は上り坂だから、正解は【坂の多さに差はない】でしたー!」
という、俺が大学2年生の秋頃までしていたゴミのようななぞなぞが表すように、下った坂はその後上り坂となって襲ってくる。
そんな事実に怯えながら、それでもせっかくなのでと走り続けた。
これ以上進むと朝食に間に合わないというところまで来たとき、ダムらしきものが見え始め、なんだか大きなオブジェのような看板のようなもの(ダムとは関係ない)があったため、そこで写真を撮って宿に戻ることに。

その後は皆さんお察しの通り、下った坂を上りまくった。睡眠不足の早朝には少々きつい道のりだったが、自ら選んだ以上朝食には遅れられないため、なんとか急いだ。
息を切らしながら登り続け、やっとのことで宿舎に到着したのは6時50分を目前にしたころだった。

なお、高度は以下のようになっていたらしい。

皆さんが150mという数字をどの程度だと受け取るかは定かではないが、想像以上にきついということだけは分かってほしい。
高尾山が600mなので、4分の1高尾山を早朝に走って登り降り(というか降り登り)したものと考えていただいて差し支えはないだろう。
そんな苦労アピールもほどほどに、なんとか間に合った我々は、いつも通り差別と愛憎の溢れる朝食会場へと向かったのだった。
なお、皆さんお楽しみの席順は以下の通りである。

なんとも癖の強いお題だが、祖父母の出身地が秋田と長崎という、北にも南にも遠い俺は例のごとく隅に追いやられた。
また、祖父母の上京加減には恐れ入った。
6日目(午前練習)
朝食後は2時間弱の休憩をとり、9時20分には宿舎を出発した。
メニュー開始は余裕を持って11:10を予定しており、メニューはエンドレスマイルリレーだった。エンドレスなんて強い言葉を使ってはいるものの、実際は400×3である。

ひとチーム4名とし、400mを繋ぐマイルリレーを連続して3回行うのだが、簡単に行ってしまえば400×3をレスト3分で行っただけだ。
このエンドレスリレーの前にぺーランを行っていた猛者たちもいたが、俺は朝練で多めに走ったことを言い訳に神回避した。
なお、前日の夜にぺーランを提案したのは、まぎれもない俺である。
(´_ゝ`)
そんなこんなで始まったリレーだったが、レース内容に関しては特に書くことはない。そこそこ盛り上がって、良い思い出を作りながらちゃんと苦しむことができた。
タイトルにあるケツワレは、このリレーでしたものだ。
念のため、ケツワレの意味について解説しておく(AIが)

実はこのリレーで優勝したチームに属してはいたものの、特に俺が活躍したわけでもないので褒められたものではない。
ただケツがワレただけの一般男性(20)だった。
6日目(昼〜出発)
リレーの後、流しとダウンを済ませた我々は、宿舎への送迎バスを待つ時間に飲み物を奢ってもらい、宿舎到着後は速やかに昼食へと移った。
読者諸君の待ちかねる席順は自由だった。
帰りのバスの出発する時間が迫っていたということもあるだろう。最後は好きな人と、あるいは心の赴くままに着席した。

昼食後休む間もなく。荷物の整理や忘れ物の最終確認などを行い、バスに乗り込む準備を進めた。
そうこうしていると、時刻は出発のときを示しており、降りる場所(池袋か新座)が遠い順に荷物を詰め込み始めた。
俺は新座に舞い降りる予定だったため、池袋組の詰め込みを少し待ってから手前に荷物を鎮座させた。
出発前に集合写真を撮り、その後バスに乗り込んだ我々は、6日間お世話になった宿舎とその宿の方々に思いをはせながら出発した。
6日目(帰宅①)
行きのバスのことをどこまで記述したのかは覚えていないが、今回のバス、多くの人がひとりで二人分の席を使用することができた。
なぜそうなったのかは定かではないが、つまり二つ並んだ座席を一人で使用する余裕があったのだ。少し寂しい気持ちもあったが、ゆったりすることができて非常に快適だった。
そんな俺がバスでしたことは、睡眠とアニメ鑑賞である。休日の過ごし方のそのままだが、皆さんご存じの通りこの日の睡眠時間が少なく、睡眠は必須だった。
なお、この時の俺が観たアニメは以下のものである。

画像は原作書籍の表紙だが、非常に面白い作品だった。もちろん、U-NEXTで全11話あるこの作品をバス内で見切れるわけものなく、続きは家で観たわけだが、その後に観た映画「夜は短し歩けよ乙女」という作品も面白かった。ので共有しておく。

なお、前者の「四畳半神話大系」には「四畳半タイムマシンブルース」という続編があるのだが、ディズニープラスでしか見ることができないという無情なので手をこまねている。
なんたることかと嘆いているが、興味のない自分語りを聞かされている(読まされている)読者の方が不憫なので、ここらで終わろうと思う。
なお、ディズニープラスを契約している人は連絡ください(乞食)
6日目(帰宅②)
「帰宅ごときに見出しを2つも使うな」という、文字数稼ぎ警察の声が聞こえないわけでもないが、公務執行妨害覚悟で書いていく。
アニメ鑑賞と睡眠もとい惰眠を貪っていると、あっという間に埼玉は新座に到着していた。
到着後はバスの運転手さんにお礼をかまし、見事なステップで立教大学新座キャンパスに舞い降りた。
また、その後は色々あってキャンパスを徘徊し、帰路についた。やっと家に帰れる。と思った瞬間、着いていたのは家ではなく家系であった。

5泊6日の健康的な食生活を無に帰す、最低で最高の1食だった。
やはり俺の将来の夢である「タイムマシーンで江戸時代の農民に家系ラーメンを食べさせ、脳を破壊する」というのはブレなさそうである。
先輩と同期含め6人ほどで向かったが、全員脳汁で溺れかけ、通りすがりのライフセーバーの方々がいなければ危なかった。
九死に一生を得た。
血糖値と高揚感の高まりを覚えつつ、改めて帰路に着いた俺だったが、帰宅後は風呂に入り、久しぶりの我が家で泥のように眠ったとさ。
めでたしめでたし。
総括①〜怪我なく完遂〜
はてさて。ついに6日目まで書き終えた訳だが、せっかくなのでこの合宿の総括的なものを書いてみようと思う。
とはいったものの。意外と書くことがなく、立ち所に筆が止まってしまった残念な俺だ。
強いて書くならば、「怪我なく終われてよかった」という話だろう。
“怪我と恥の多い人生を送ってきました”で有名な、人間失格系男子こと俺だが、なんと怪我のない合宿は人生初であった。
これまで、計4回(今回は含めず)ほど合宿なるものに参加してきたが、毎回何らかの形で怪我を伴っていた。怪我をした状態でのスタートもあれば、合宿中に負傷したこともあった。
あまりにも可哀想という評判がアフリカで広がり、一時期は俺への支援として逆ユニセフの提案もあったとかなかったとか。
そんなこんなで不遇な合宿を過ごしてきたが、先述の通り怪我なく完遂することができた。
もしかすると、それが当たり前の人もいるかも知れない。というか当たり前の人のほうが多いのだろう。しかしながら、そんな当たり前のことを達成できたことが、俺にとっては何より価値のあることだった。
もちろん、今後の目標は怪我のないことが前提だ。走行距離やメニューの質などにも、どっぷり意識を向けたい。ただ、そちらばかりに気を割いてケガをし てしまっては本末転倒もいいところだ。
次は来年の春合宿、どうやら6泊7日という果てしない(というかむしろ果て死ある)期間だが、今回同様怪我せずに終えたいものだ。
このブログでも何度か触れたが、この夏合宿で施術(サポーターの行うマッサージ)の重要さを学んだ。なんなら怪我をしなかったのはそのおかげといっても過言ではない。
施術を一例とし、このような恵まれた環境に感謝しながら、最大限活用して自らの糧としていく所存である。
総括②〜人間関係〜
もうひとつ、この合宿を通して再認識したことがあるのだが、それは「合宿という場が人間関係に与える影響」である。
言うまでもなく、5泊6日も共同生活をしていれば多くの場合その仲間たちとの親睦は深まる。
特に4月に入部してきた1年生や、普段関わりの少ない他パートの人間などは尚更だ。また、すでに関係を構築している同期や先輩方とさらに仲を深める時間にもなる。
もちろん。合宿に参加した全員、見える全部聴こえる全て(back number感)と関係を進展させたなんて絵空事を並べるつもりはないが、それでも多くのチームメイトと仲良くなる事ができて嬉しかった。
ただでさえ友人関係が乏しい俺なので、このような場は有効活用できるに越したことはない。それが合宿の副題となっているかは別として、自分の中では小さくない機能を果たしていた。
ただ、同時に俺という人間が集団生活を不得手とすることも再認識した。5泊6日を我慢できないほど苦手ということはないが、それでも1人の時間がほとんどないというのは非常にストレスを感じるものだった。
そのストレスを意識するまでもない忙しなさや楽しさがあったから良かったものの、それが無ければ全てをボイコットし、銀行強盗さながら部屋に立てこもっていたかもしれない。
集団生活が苦手という、現代で言うところのひとつの個性かもしれないが、それでもやっかいなものだよまったく。
┐(´д`)┌ヤレヤレ
総括③〜来年について〜
今年は2年生として夏合宿に参加したわけだが、つまり来年の夏は3年生として合宿に参加するということらしい(小泉)
さすがの俺も、去年や今年ほど呑気に過ごすことはできないだろう。まだまだ自分のことで手一杯ではあるが、そうも言ってられない日が来る。
正直、あと1年くらいはおんぶに抱っこに肩車で部活をしたいが、そうも言ってられない日が来る(2回目)
高校時代から変わりなく、俺自身が中心となってチームを引っ張るようなことにはならないだろう。そんな器ではない。ただ、中距離パートの同期は俺を含めて4人しかおらず、自分のことだけやっていてよいわけもない。
足を引っ張るのは論外だが、ただついていくだけの人間がいて良いほど人数もいない。働きアリの法則によれば、ほとんど働かない存在も2割いるらしいが、4人の2割ということは1人も存在してはいけないことを意味している。
そんな理屈っぽいことなど考えずにチームのために尽くせよ、という皆さんの意見もよくわかる。俺もそう思う。
ただ、俺はそこまでできた人間ではないので、なんとか理由をつけて頑張ろうと思う。
来年の合宿はどうなるかなあ。
終わりだよ
はいおわりおわり。
書きすぎだよまったく。1日目からこの記事まで、合計で3万字以上書いてしまった。こんなに書くつもりはなかったのに(倒置)
ちなみに、春合宿は合計で2万字と少しである。日数は変わらないのに。何が変わったのかと聞かれれば分からないが、おそらく俺の内面の話が増えたのだろう。
途中、競技会や関東新人の記事を挟んだが、①から⑥まで1か月間にも及んでしまい、他に書きたい記事もいい感じに溜まってきた。
学校が始まると、授業中の暇な時間にブログを書くことができるので投稿頻度はある程度保たれるはずだ。
誰のために書いているわけでもないが。見てもらえないというのも寂しいので、今後も俺の趣味に付き合ってくれると嬉しい。
人によっては、次にお会いするのは春合宿の話かもしれないが、それならそれで大丈夫。
次回もお楽しみに。
2025/10/6 6381字
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